スーパースター
2018.07.21
GR8EST名古屋初日公演に参戦した。
前投稿で語った通り、渋谷担である私は今回のライブを渋谷すばるがいない現実を焼き付けるため に行った。
ライブ後の今、結論としては、行ってよかったと思っている。
私はこれで、関ジャニ∞を降りる決心がついた。
分かりきっていたことだったけれど、これまでずっと関ジャニ∞の中で渋谷すばるしか追いかけてこなかった私にとって、今の6人が作り上げる世界は私の求めている世界ではなかった。
私はいつもライブで、渋谷さんの一挙一動や微かな表情を逃さんとしていた。
どんな席でも、どんなに遠くにいたとしても、背を向けていたとしても、その姿を捉え、彼がその空間でどう行動して何を感じているのかを考えるのが好きだった。
そんな私が、この6人の世界に入り込むのは、大袈裟かもしれないが未知の世界に足を踏み入れるようなものだった。
私は、渋谷すばる以外のライブにどう挑めばいいのか分からない。
6人はそれぞれの表現で、「一人欠けてしまったけど、安心してついてきてほしい」と言っていた。
でも、その欠けた部分が私の全てだった。
どこをどう、安心すればいいのか分からなかった。渋谷さんが居さえすれば安心できるのに、それは不可能だった。
これを読んでいる人に分かってほしいのは、決して6人の力が足りないだとか、頑張りが足りないだとか、そういうことでは一切ないということだ。それだけは理解してほしい。
ただ、私が場違いだっただけだ。
現に、錦戸さんが「すばるくんファン!」と呼び掛けてくれたり、他にも何度も渋谷さんの名前を出しては彼の事を語ってくれたり、渋谷すばるファンにとって、会場にいることを許してくれている気がして物凄く嬉しかった。ありがたかった。
渋谷すばるファンを見捨てずに、寄り添って気持ちを汲んでくれているのがひしひしと伝わった。
そこにいた6人には、間違いなく、渋谷さんが居て、渋谷さんが残していったものを大切にして、渋谷さんのいた頃を越えていこうという、強い意志があった。
そんな6人の作り上げる空間に、安心や喜びや応援の気持ちを感じると同時に、どこか冷めた目で見てしまう自分を感じた。
行ってよかったのは、関ジャニ∞にさよならをする決心がついたからであって、私にとっては決して楽しいものではなかった。
楽しめなくて、本当にごめんなさい。
本当に、本当に場違いだと思った。
もう一生行けないし見られないと思った。
こんな気持ちを持ったやつが、この場所に居てはいけないと思った。
登場からずっと、何度も何度も人数を確認した。
一人一人目を凝らして見て、渋谷さんではないことが分かって落胆した。
最後まで、ずっと探してしまった。
でも何度確認しても、そこには6人の姿しかなかった。
私の好きな、音楽にのって全身全霊で演奏し歌う姿がなかった。
いつも聴こえるはずの音がなかった。
ブルースハープもスタインバーガーも何もなかった。
大好きだったのに、何もなかった。
どうしても、彼のパートを待ち構えてしまった。
違う声が聴こえてきて、心がザワザワした。
それなのに、渋谷さんの過去のライブやテレビでの声や姿が同時に蘇ってきて、余計辛かった。
渋谷さんのいない現実を叩きつけられた気分だった。
渋谷さんがいればな、と何度も思ってしまった。
この中に今もいれば、また違う顔が見えていたのかなと、他のメンバーのファンを羨んでしまった。
酷く僻んで、多分、すごく妬んでしまった。
そんな自分が嫌だった。
一度もC&Rをしてあげられなかった。
ほとんどの時間をただただ呆然として過ごしてしまった。
ただ立ち尽くしているだけだった。
「楽しかったですか?」と聞かれて、拍手をおくれなかった。
ひたすらに耐えるばかりだった。
会場にいることが辛かった。
わかっていたはずだけれど、そこには何もなかった。
ずっと、その場から逃げ出したかった。
動く気も、声をあげる気も起きなかった。
私はもう、ここには居られないと理解した。
ここにいる資格がないと思った。
なんで来てしまったんだろうとさえ思った。
6人の関ジャニ∞を見る度に、苦しくて逃げ出したくて、まわりのただただ6人が好きなだけな人を一方的に妬んでしまう。
そんな自分も苦しすぎて、もう何も見たくないし聞きたくないと思った。もう、精一杯。
私の楽しくて大好きな場所はもうなくなったんだなと理解した。
もう、大丈夫、ありがとう、
諦めがつきました。
居心地が良くて、ついつい長居しちゃっててごめんね。
6人を同時に追う選択肢もあるけれど、私の技量がなくてごめんね。
私はここに居たら過去にすがってしまうから、
そろそろ前に進みます。
ありがとう、大好きでした。
もう辛くて見られないけれど、見られなくても6人を応援しています。さよなら、ありがとう
そして渋谷さん、
そのままのあなたが大好きです。
そのままで...
そしていつか、さらに成長したその姿を見せてください。
出来れば、早いと嬉しいです。すごく。
早く会いたいです。
そのためにも、今の弱い、思い出にすがってしまう私を脱ぎます。
もしも次会えた時に、あなたを好きな自分を誇れるように。
私も成長して、待ってます。
ありがとう、愛してます。
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未
(2018.07.15)
渋谷さんのいないライブ前の整理、心構えとして書きます。
この文章を書き終える頃には何か答えが見つかることを祈って。長くなると思います。
─────────
あの日から、3ヶ月が経った。
今日、自担である渋谷すばるが、関ジャニ∞の渋谷すばるではなくなった。
渋谷さんはジャニーズ事務所にはまだ所属している状態だけれど、もともとメディア露出の少ない彼だから、実質、事務所退所までの活躍の場は今後見られないに等しいのではないかと考えている。
その先には一生見られないかもしれない現実が待っているのだけれど。
まだ、信じられない。
テレビをつければ的確で直球な言葉で場を沸かせていそうだし、ライブに行けば、あの力強い歌声で心を震わせてくれそうだ。
そこに渋谷すばるがいるのは当たり前で、当たり前以外を今は考えられない。
私にはあの発表の日から、3ヶ月間もの心を整理する猶予が与えられていたわけだけれど、当たり前を当たり前ではなくする時間には短すぎた。
あの日から、何も変わっていない。
何も、進んでいない。
たくさんの「なんで」を繰り返しては、その中でもあらゆる形で何度も訪れる最後の場での、彼自身の将来を示唆する強い言葉を期待してきた。
彼が、その最後の場で言葉を求められる際に口にするのは必ず、
「6人の関ジャニ∞に期待してください」
だった。
もちろん、それはわたしが望む“強い言葉”ではない。
彼の口から何度も紡がれるこの言葉が、私は嫌いだった。
我儘で、勝手な決断をした渋谷さんは、残される6人を少しでも守り、後押しする責任があると思う。少しでも。
でも、わたしが欲しいのはその言葉ではなかった。
渋谷さんのやること成すことすべて受け止めてきた私だったけれど、この言葉だけはどうにも呑み込めなかった。
関ジャニ∞の渋谷すばるを、過去の人として話すのが物凄く嫌だった。
それが、辛かった。
私が好きになったのは関ジャニ∞の渋谷すばるだ。
それを、無いものにはどうにもできない。
だからこそ、私はこれから先、彼のいない関ジャニ∞を応援できる自信は全くない。
だって、私が関ジャニ∞を好きになったのは、渋谷すばるがそこにいたからだ。
私は、関ジャニ∞の渋谷すばるを好きなのと同時に、渋谷すばるという人間が好きだ。
渋谷すばるという人間を好きにならなければ、関ジャニ∞を好きにはならなかっただろう。
渋谷さんを好きになったことは、紛れもなくわたしの人生の中で大きな出来事だ。
渋谷さんの存在があったからこそ得られたものは数知れない。
渋谷さんが導いてくれたものはどれも正解で、幸せで、宝物で、
これから先もずっと、大切にしていきたいものだ。
その気持ちは、あの発表がされた今も微塵も変わらない。
しかし、渋谷すばるが関ジャニ∞でなければ、こんなにも彼のことを知ることはできなかっただろう。
彼の魅力を多方面から引き出してくれたのは関ジャニ∞という場だったし、ここがなければ私はこんなにも渋谷すばるに深くのめり込むことは無かったように思う。
また、渋谷すばるの存在を大きくしたのも、間違いなく関ジャニ∞があったからだ。
でも、あの発表後、彼に対して 裏切られた という気持ちは少しも起きなかった。
それは、彼が関ジャニ∞ではなくなったとしても、自分が好きな "渋谷すばる" が崩壊しなかったからではないかと思う。
強くて、まっすぐで、不器用で。
そんな、私がこれまで見てきて知り得た“渋谷すばる”が、関ジャニ∞ではなくなった今も尚、存在しているからだろう。
渋谷さんのことは、裏切られたと感じるような出来事があるまでは、一生嫌いにはなれないと思う。
そして同時に、いつまでも私の尊敬する人で、憧れだとも思う。
訳のわからないことをツラツラと書き連ねてしまったけれど、要するには、
渋谷すばる一個人を好きになった自分 も、
関ジャニ∞の渋谷すばるを好きになった自分 も、
どちらもすごく、すごく大切だ。
どちらかが欠けては成り立たないものだった。
だからこそ、渋谷さんが関ジャニ∞ではなくなることをまだ、受け入れられていない。
関ジャニ∞の渋谷すばるが大好きで、ずっと彼らの躍進とその中の彼を誇らしく思いたい気持ち。
渋谷すばるの人間性が好きで、彼の考えを尊重したい気持ち。
彼の今までくれたものや見させてくれた景色への感謝の気持ち。
それらが今後見られないかもしれない不安な気持ち。
本当に、いろいろな思いが混沌としていて、自分でもよく分からない。
この気持ちは、受け入れられない というよりも、信じられない という方が適切かもしれない。
渋谷すばるが関ジャニ∞なのが当たり前すぎた。
当たり前が当たり前でなくなるのは、怖い。
すごく、怖い。
それでもこの、先の見えない未来を望んだのは私の好きな人だ。
今まで、片時も迷わず応援してきた人だ。
意志の強くて固い、彼だからこそ迷わずついてきたのだ。
これまで与えてくれた幸せと、素晴らしい景色は、彼についてきたからこそ見られたものだ。
そんな見たことのないものを、今後も迷わず彼についていけば見られるかもしれないという希望も、私はやはり持ってしまう。
今は、まだ何も見えないけれど。
結局、私は、私の好きな渋谷すばるを追い続けることを諦めきれない。
例え、関ジャニ∞の中でしか見られないような姿が見られなくなっても。
これまで、関ジャニ∞として活躍してきた中で見ることができた彼の姿を大切にしたい。
本当は、そこでもっと探したかったけれど。
それでも、それでも違う場所でまた見られると信じて。
関ジャニ∞やジャニーズというフィルターを剥いだ彼が、また知らない一面を見せてくれると信じて。
例え、彼の口から将来のことが何も語られなくても。
その目標や夢を彼は何も教えてくれなかったけれど、
それでも、何か凄いものが待っているのではないかと、これまでの彼を信じてきた私は、不安を心に抱えながらも、最終的にはそう思えてならない。
きっと、彼ならやってのけると思ってしまう。
渋谷さんは、本当に何も語ってはくれなかったけれど、"希望の糸"はくれていた。
最後の関ジャムの中で、高らかに「eighter」と叫んでくれたこと、
最後のスバラジの中で、「また」と言ってくれたこと。
私達ファンを思い、次に繋げてくれる、未来に向けた言葉は0ではなかった。
今思えば、私が汲み取れなかっただけで、渋谷さんは他の場所でも随所で気持ちをぶつけてくれていたのかもしれない。
真っ直ぐで、不器用だからこそ、彼なりの表現で、精一杯で自分を表現してくれていたのかもしれない。
私が「欲しい言葉をくれない」と言っていた間にも。
だって、そんなのいつものことだった。
渋谷さんは多くは語らないし、決して言葉での表現も上手いわけではない。
そんなの、分かっていたことだった。
いつも思いを汲み取って、なんとか理解してきたんだから。
私が、気づけていないだけだったのではないのか。
そして、その汲み取れた僅かな希望にすがりつけなかったのも私だ。
私はその不確かで不安定な希望に怖気づいて、糸を掴みきれなかった。
気づきたい。そして、まだ夢を見ていたい。
少なくとも、彼の言動で、自分がついていってもいいと解釈できる要因が1mmでもあるなら。
彼が、希望の糸を差し出してくれる限りは、私はそれを見つけ、離さないでいたい。
私のような、渋谷すばるという人間に夢を見て追いかけたい1ファンは、今はまだ、これからの未来をただ祈ることしかできないと思う。
どうか、もう一度見られますように。
どうか、夢を教えてもらえますように。
どうか、幸せでありますように。
そう祈ることができるように私は、この現実を真実だと受け入れるところからはじめなければならない。
私はまだ、関ジャニ∞の渋谷すばるを心から送り出すための一歩すら踏み出せていない。
今後、6人の関ジャニ∞をあらゆる場面で目撃するごとに、そこに彼がいないことや彼の声が聞こえるはずのパートが他の人の声で埋まっていることに心傷めると思う。
いつか、関ジャニ∞は6人という認識が当たり前になってくるかもしれない。また、6人の関ジャニ∞を好きだというファンが増えてくるかもしれない。
6人のトークでは、あえて彼については触れず、彼が無いものとされてしまうかもしれない。
関ジャニ∞の渋谷すばるが存在した痕跡が、いつか消えてしまうかもしれない。
それでも、私が関ジャニ∞の渋谷すばるを好きだったことは消えない真実だ。
私が好きな渋谷すばる は、
私が見失わない限りは消えない。
今は、
どれだけ時間がかかったとしても、
どれだけまわりに置いていかれたとしても、
心からの「いってらっしゃい」が言えるように、なんとか、私も一歩を踏み出したいと思っている。
今回、ライブ前の気持ちの整理としてこの文章を書いた。
まずは、なんとか整理したこの今ある気持ちを忘れずに、名古屋初日公演に挑みたいと思う。
そして、このライブが私にとって最後の関ジャニ∞のライブ参戦になるだろう。
きちんと、6人の関ジャニ∞をしっかりと認識するところから私も新たな一歩を始めたい。
私の好きな、渋谷すばるが選んだ道を見つめるために。
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